手描提灯とは
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江戸手描提灯
手描きの風合いが、そのまま家の顔に
紙から漏れるろうそくの灯りによって、空間を温かく演出する提灯の歴史は、16世紀に遡ります。その後、細い竹を用いた円状の骨組みに紙を貼り、上下に伸縮する現在の形の原型が作られたとされています。17~19世紀には生活に欠かせない照明として庶民に浸透し、江戸手描提灯は、当時の文字や家紋の描き方を受け継いでいます。
家紋とは、貴族や武家、商人らが、自らの家系や家柄を示すために装飾品や武具に記した模様のことで、ヨーロッパで貴族や騎士が用いた紋章に似ています。家ごとに描き順などのルールが細かく定められていますが、職人はどんなに複雑な家紋でもフリーハンドで描き、文字と家紋が程よいバランスに収まった“江戸の型”を崩しません。
その高い技術は新しい試みにも応用され、近年ではキャラクターやロゴ、あるいは外国人の名前を当て字にして描くこともあります。折りたたむことで持ち運びしやすく、広げたときにインパクトのある提灯は土産物にも最適で、インテリアやランプシェードとして室内をさり気なく彩ってくれます。
主な製造地 | 台東区、荒川区、墨田区 他 |
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東京都指定伝統工芸品指定年月日 | 2007年(平成19年)12月19日 |
伝統的に使用されてきた原材料 | 高張提灯など(1700年代から使用) |
沿革と特徴
16世紀の初め、室町時代文亀(ぶんき)年間(1501~1504年)に初期の提灯と認められ、籠提灯(かごちょうちん)が使われていたと言われています。室町時代の末期の天文(てんぶん)年間(1532~1555年)、今日の折りたたむ提灯の原型のものができたと考えられています。
その後、安土桃山時代(1573~1596年)には、細い割り竹を丸く輪にして骨を作り、紙を貼って覆い、上下に自由に伸縮できるようにし、底にろうそくを立てるようになりました。提灯が一般に普及したのは江戸時代(1596~1868年)です。
江戸時代半ば頃から浅草近辺には多くの描き職人が仕事をしていました。明治時代の頃より、問屋制が発達し提灯製造業と提灯文字描き専門業の分業が進み、現在も東京の提灯屋は貼りあがった火袋に、家紋文字などを描き入れることを仕事としています。
提灯に描き入れる文字は一般的に江戸文字といわれ、神社仏閣に貼る千社札の原稿を提灯屋が描いていました。千社札は枠の中に文字を入れますが、提灯は枠の線が無いので少しのびのびとした文字になります。また、家紋は着物の紋付きの入れ方と違い、白地に黒で家紋を描きます。遠くからも見えやすく、線の入れ方を工夫しバランスを取り、描くのが特徴です。
手描き家紋の描き方
家紋本体を黒く描く場合は、家紋帳の石持地抜きが基本になります。家紋帳(和服の紋付き用)の紋のほとんどは紋自体が白くなる、白抜きの紋です。紋自体が黒く描かれているのは、その中の「石持地抜き」(こくもちじぬき・意味は白と黒を反対にしたもの・つまり紋本体が黒くなる)と称したものです。
※石持地抜きの名称については、他に石持、石持落し、石持地落し、石持地落ち、石持地落しなど、多数の呼び名がありますが、すべて意味は同じです。
すべての紋に白抜きの紋と石持地抜き(紋本体が黒)の紋が記載されていれば良いのですが、石持地抜きの紋は、紋帳記載の5,000近くある家紋の内60くらいしか載っていません。
載っていない家紋は、白抜きの紋を「石持地抜きの描き方の規則」に則って描き換えます。ただ単に機械的に白黒を反転すれば良さそうですが、それでは描きづらい上に見栄えが悪くなってしまいます。石持地抜き(紋本体が黒)の描き方には、描きやすく、見栄えを良くする工夫がなされています。